ミトコンドリアの日々

まなかさんの日常

人と会うことと、それによるダメージと

今日は、久しぶりに哲学の読書会に参加して来た。

感想は「楽しかった」。

 

やっぱり哲学は私にとってすごく楽しい。

頭使っていろいろ考え、人の意見も聞きアップデートする。

この作業はほんまに何者にも代え難い。

 

でも、興奮を冷ますのは毎度大変で、少し食べすぎたり、動きが全体にお粗末になってしまったりする。

それを最近気がつけて認識できて来たので、よしとする。

 

人と会うことのリスクとベネフィット。

このバランス。

 

多分このまままたなんとなく寝るタイミングを逃してダラダラしちゃうと、明日、全身筋肉痛になっているのはわかるので早めに就寝したい。

嗜癖する対象を無くしても

アルコール依存が世間を騒がせてることについて。

 

以前からよく言われていることだが、「お酒が悪いのではなく、もともと何か持っていた悪さなりしんどさがお酒によって暴かれるだけ」と言うこと。

 

摂食障害もそうだけど、症状がメインの問題なのではなく、そう言う行為やアルコールがないと日常が送れないことが問題なのだ。

 

だから、お酒や食べ物の方に原因があるわけではない。

 

アルコールは特に脳に影響を及ぼしやすいから、依存度も高まるのだろうか。

 

最近、お酒を飲む場に行くことがあるのだけど、依存したい気持ちは今のところ全然起こらない。

食べて吐く方がいろいろ私にはあってるんだろうなと。

私の場合は、食べて吐く、と言うプロセスが心地よくさせるんだろう。

 

お酒よりもその場での会話とかの方がいまは楽しい。

話はそれるが、以前友達が言っていたように、一人の人間を穿っても何も出てこないよと。確かにそうではある。だいたいお酒の場で話されることは決まっていて、あとはバリエーションというかシチュエーションが様々なだけかなと。

 

私はお酒の場に行くことで、人との距離と会話の勉強をしている。

相槌とか間とか、話す内容の濃さとか。

 

で、話は戻って嗜癖について。

 

依存物質を規制しても、生きることの辛さを何とかしないと病理は残るので根本解決はしないだろう。お酒は特に体質にも影響を及ぼすから一生飲まないような精神状態と環境を用意しておかないといけない。

 

これについては今後も考えて行きたい。

 

空気が読めないについての個人的な意見(まあほとんどの意見は9割個人的意見だけど)

空気が読める読めないについて、私はずっとしんどい思いをしていた。

これってどういうことなのかと。

多分「その場にふさわしい話題や会話、言葉」のことなんじゃないかと。

で、その場にふさわしいかどうかを感じる能力、技術などが「空気読める」ってことなんかなと。

 

焦ると、自分のことしか見えなくて、保守というか大げさな言い方になるけど「損害回避」的な行動になる。(もちろん本当に脳の機能の問題で「ふさわしさ」を認識できないこともある。)

 

先日初めてのバーに行って、横にいたおばちゃま(お一人でまあ酔っていた)にちょい嫌味というか苦言を申されて。(帰りにバーのお兄さんに「すいませんでした」って謝っていただいて恐縮してしまったがw)

もちろん私の態度が気に入らなかったんだと思う。だから反省。初めてのお店だったし、私も焦っていたんだと思う。

 

もちろんその後も他の方々との会話がその場にふさわしかったかはわからないけど。

 

まず深呼吸して観察したらいいのかもしれない。

焦るのは「我」が出過ぎているシグナルになる。

バーなどは「場」が大事だからそこの場にスポッと入ることが大事なんだと。

もちろんバーだけではない、どの場でも。

 

そして「笑顔」これはめっちゃ大事だなと。それと誰に対しても「尊敬と誠意と」。

もちろんお酒の席なので堅苦しい雰囲気は少なく。

自分しか見えなくなってるときは喋りすぎたりしてるから、自分でチェックしやすい。

 

これは机上の理論ではどうにもならないので、実践していくしかないなと。

 

40歳になりやっと一呼吸おくことがわかるようになってきた。

 

バーはお金かかるけど、こういう『空気読む訓練』はお稽古事みたいなものだから身銭を切って身にせないかんなーって。カフェじゃこうはいかんからなw

 

でも、周りのおかげで楽しかった。

 

机上のお勉強の合間に実践しに行こう。

 

翻訳することはどういうことかを考える

語学オタクではないので、沢山の言語を学びたいとか言う意欲はない。

 

「翻訳」と言う作業はそこで一体どんなことが行われているかが知りたい。

 

イメージでいうと化学反応式。

 

人が使うものなので、どの言葉にも普遍的な見えない要素が隠されてると思う。

概念とか環世界とか。

 

言葉で私たちは外界を把握しそれにより「枠」ができ、環世界を作り、限定もしてしまうんだけど。

たかが言葉、「されど言葉」。

 

 

毎日ロシア語、アラビア語も英語も

語学の能力が上がってるかどうかってなかなかわからなくて。

でも、わからないのは上がってない証拠なんだろうな。。

 

遅々として進まなくて落ち込んだりする。

 

リウマチのせいにはしたくないけど、疲れもすごい。

バイトしながら勉強のしんどさを感じる。

帰国後は一年はこもって勉強しようか、週に二日はバイトしてパソコン代を

貯めるか迷い中。。。

 

辛い正直辛い。。。

 

でもここで諦めることはできないので、踏ん張る。

自己啓発とかなんとか

さっきスタバで、ボーってしてたら、横の「いかにも俺できてるビジネスマン」みたいな男子が電話しながらパソコン打ってて、でも横に置いてる本が『気にしない』っていうタイトルの自己系系の本で、うわぁー。。ってドン引き。

 

自己系系の本読んでる人と仕事はしたくないなぁ。(個人的感想偏りあり

 

『気にしない』この言葉成功者はよく言ってる。

 

でも、精神科医も患者によく言ってる。

 

ということは自己啓発読んでる人は基本病んでる人なんじゃないかと。

なんかそんな気がした。

 

鋼のメンタルと柔軟な思考と身体と。ドーピングせず手に入れるには地道に努力するしかない。もちろん、持って生まれた気質はあるけどね。

 

自己啓発ぼんは話のネタと笑いのネタぐらいに使うのが一番なんだろうな。

 

告白とか

これから死ぬまで告白は誰にもしない。

 

ずっと片思いと独り身でいいや。

 

もし万が一どなたかに告白されたら考える。。

 

でも、今、片思いの人には将来もしかしたら告白するかもしれない。

 

一人が楽なのではなく、一人でしか生きていけないのである。