ミトコンドリアの日々

まなかさんの日常

戻りの速さと、落ちるナゾ

食べ吐き続いても、何故か三日ぐらいで戻る。

何故かわからないけど、夜の徘徊はなくなる。

 

食べ吐きしても一食はいつも通り食べるし。

 

で、食べ吐きに戻るとき。

 

これは承認欲求と孤独の耐えられなさと、語学の進み具合。

 

孤独に耐えられないと、媚びた態度で集団にいることになる。

興味にないことについても、yesと言い続けなくてはいけない。

自業自得だから仕方ないんですけどね。

 

思い出すと、心臓ズキってするから、愚痴言いたくてもなるべく

リピートはしないようにしたい。

 

私は私、って言う標語はあまり好きではないけど、

誰かのご機嫌取るために存在しているわけではないから。

 

contributionと理解のお礼

 

これができないと、その集団には居られない。

 

お客さんになってしまうと言う、落合氏の言い分は正しい。

卑下慢はよくない、だから、比べたりしたくない。

 

でも、面白い話ができる人とと居たいから。

 

いつも話が脱線する。悪い癖。

 

書きたいことの軸を離れて書くときは、別の記事にしてまとめる方がいい。

今後そうする。

 

で、戻りの速さ。

 

やっぱりしょうもない人間で終わりたくない。

すごい人になりたいわけではなくて、面白い話題、興味ある分野で

トップの人の話について行きたいだけ。

その輪に入contributionしたい。

 

戻りの速さの後ろに、このことがあるからなのかもしれない。

 

あと、単純に体型への諦め。

 

賞賛とやっかみ

「やっかむ」を辞書で調べたら、妬む、羨むの関東地方などで使う言葉と判明。

標準語ではなかったのだと今更驚いた。

 

世に認められてる人は「めちゃめちゃ」動いてる。

もちろん、世の流れに合うこともしてるんだけど。

 

今の自分が「卑下慢」と「高慢」にいるのは良くわかる。

ダラダラしてる人を卑下してる態度も。

そして自分自身に対しても、二つの間にいる。

 

食べて吐いて言い訳して生きるのも人生だから。

とにかくごちゃごちゃ言うてるだけの人間にはなりたくない。

 

相手の人生をジャッジするようなことはしたくないから、沈黙でいる。

沈黙は感想だとばななさんも言っていた。

 

賞賛を望んでるわけではない。

ただ、世のトップにいる人と同じ世界を見ていたい。

 

私の人間性は置いておくとして、やってることで評価されるようになりたい。

 

良い翻訳をすること。ただそれだけ。

傍観者

ある人から「お前は結局傍観者じゃないか」って怒鳴られたことがある。

 

傍観者な私がそんなに腹ただしい存在だったんだろうか。

 

 

ブログタイトルを「ミトコンドリア『な』日々」にしようかどうしようか

迷っている。

『の』か『な』で全然違う。 

日々のこと

最近、またまた、吐いてしまう日が出てきてて、でもそれに関して誰にも何にも言ってない。

隠してるのとは違って、言ったところでどうにもならないから。

 

でも吐いてるからって、それがすごく苦になっているわけではない。

要は吐く原因になっていることがあるだけのこと。

 

それは不安だったり、窮屈感だったり。

 

生きにくさ、なんていう表現はしたくないし、そういうものではない。

まあ、吐くことはいいや。

 

閉塞感は語学の進歩が遅々としていること。

 

ただ淡々とやればいい。

 

認識しなくてはいけない存在があることが結構苦なのである。

透明人間で在りたい。

 

語学スクールで時々話す青年。

若さが眩しい。w

 

スタッフの女性が、重い詰め替え用の水のタンクを持っていた時に、

すぐ駆け寄り、代わりに変えてあげていた。

 

そういう優しいところも素晴らしいな。